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2014年11月25日 (火)

想いが届く日 魂の浄化

古代ギリシャの時代、当時は音楽は数学や天文学と並び世界の真理を解き明かすための学問とされていました。「のだめカンタービレ」劇場版でものだめに千秋先輩がこのことについて語るシーンがありましたね。

 当時の賢人たちは、音楽が聴く人間の魂を動かすことの謎を研究しました。ギリシャ悲劇で描かれる苦悩や悲しみを観客が共感し、その苦悩・激情から解放される時に心が揺さぶられ、涙を流す。その結果として抑圧されていた心が解放され浄化される、この状態をカタルシスと呼びます。音楽においても同様にカタルシスを得ることで魂が浄化され、この浄化によって神の領域に近づく、という音楽の意義が考えられていました。音楽は科学であると同時に、宗教学的な側面も強く(むしろそちらの方が強く)持っていたことが伺われます。

 ブラームスもまた、心を揺さぶる音楽を作る力を持っていました。例えば交響曲第4番2楽章のような、魂を揺さぶる音楽を書くことはできたはずです。しかし、それができるにもかかわらず、彼は交響曲1番2楽章の美しい旋律をあえて感動の頂点にまでは持ち上げず、音楽によるカタルシスと魂の浄化に到達させはしなかったようにさえ見受けられます。

 それはなぜでしょうか?

 ブラームスはわかっていたのではないだろうか。クララへの自分の想いが届いて二人が結ばれる日が、決してやって来くることはないであろうことを。想いを伝え、困難に打ち勝ってその愛を掴むことができれば、きっと苦悩してきた心は解放され、その魂は浄化されることでしょう。しかし、決して実ることのない想いは永遠に浄化されることなく、激情の海を漂い続けるしかありません。

 美しさを湛えながらも、決して浄められることのない運命。想いが決して届くことのないこの苦悩は、感情の頂点を迎えることなく夜空を彷徨う旋律となって、この2楽章で奏でられているように感じられます。

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 クララは76歳でその生涯を閉じました。そしてクララが世を去ったその翌年、クララの後を追うようにブラームスもまた静かにその生涯を閉じています。

 ブラームスはクララを想い続け、そして最後にクララのもとに辿りつくことができたのでしょうか。クララの胸に抱かれて、その彷徨う魂を浄めることができたのでしょうか。短い間奏曲風の、ひとときの安寧と不安の影をはらんだ第3楽章を挟み、ブラームスの想いはいよいよ第4楽章へ歩みを進めます。

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