クララ・シューマン
ブラームスは駆け出しのころ、自分を認めてもらおうと作曲家ロベルト・シューマンを訪ね、そこで自作のピアノ作品を披露しました。ブラームスの才能を見抜いたシューマンは、これをきっかけにブラームスを大々的に紹介し当時の音楽界に引き上げ世に出すことに尽力しました。いわばシューマンはブラームスの大恩人であると言えます。
クララ・シューマンは、ブラームスの恩人であるロベルト・シューマンの妻。そして当時にして最も高名なピアニストです。
ブラームスがシューマンに出会った翌年ころより、ロベルト・シューマンは精神疾患を患い、そして2年後には世を去りました。この間、ブラームスは献身的にクララとその一家の生活を助けました。当時二人の間で交わされた書簡では、「尊敬する奥様」から「最も大切な 友人」と変わり、そして「最も愛する人」、ついには「愛するクララ」と変化を見せています。
ロベルト・シューマンの死後、クララとブラームスの関係はどうであったのかは謎のままですが、ブラームスがクララに対して友情以上の感情を抱いていたことは伺われます。ただ、恩人であるシューマンの死が、二人が結ばれることを妨げるなんらかの影響を与えていたこともまた想像に難くありません。
亡き師の妻への尊敬、深い愛情、そして叶わぬ想い。
交響曲1番2楽章では、そんなブラームスの胸の内を映すかのような美しい旋律が奏でられています。
ところが。僕たちは楽譜を読み、曲を聴き、そして自分たちで曲を演奏してその旋律を再現していますが、この2楽章を弾いていてどうしても心に引っかかることがひとつあります。この美しい旋律を主題に音楽の盛り上がりが描かれているのですが、それが何というか、盛り上がりの頂点に到達することが一度もないままに、この2楽章は終わってしまうんです。
決してブラームスに音楽の感情の頂点を書く技術がなかったなどという意味ではありません。例えばブラームス交響曲4番2楽章のように、抑えきれない感情に満たされて天にかえるような、そんな音楽も聴くことができます。
なのに、ブラームス1番の2楽章には、その感情をあえて抑え込んでいるような、そんな印象を抱かずにはいられません。ブラームスはなぜこの美しい2楽章をあえてこのような形にしたのでしょうか。
次回は、「音楽によって得られるカタルシス」を題材にブラームスがこの2楽章に込めた思いを考えてみたいと思います。
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